「藤次郎夜話 =生首事件=」  暑い夏、夕立の雷が盛んに鳴り響く中…  「…これで、少しは涼しくなるわねぇ…」  母は雷鳴におびえ、むずがる初孫をあやしながら、遊びにきていた兄 嫁に話しかけた。  「和枝さん、こんな時いつも思い出す事があるのよ…」  兄嫁は、麦茶を入れる手をふと止めて、母の方を向いた。  窓際で寝転がって本を読んでいた私は、(また、いつもの話が始まっ たか)と思い、にやにやしながら傍らにある麦茶を飲んだ。  母は、遠くを見るような目で兄嫁に話し始めた… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  それは、私が生まれて間もない頃の話。  念願叶ってこの家を購入し、鈴が森の刑場の側から引っ越してきたば かりの両親は、まだ近所の人たちに馴染めずにいました…そしてある夏 の日、夕立の雷鳴が轟く中、母が雨戸を閉めようと今、丁度私達がいる 部屋に来たとき、通りを挟んで面した寺の墓場の塀の上になにやらまあ るい物があるのを認めました。  当時は街灯もなく、夕暮れ時の薄暗さも手伝って母はそれがなんだか すぐには判らなかったらしかったそうです。  しかし、雷の閃光で塀の上のまあるい物体が一瞬、見えたました。  …それは、人間の首の様に見えました… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  「義母様、冗談はやめてください!」  突然、兄嫁の泣きそうな声が母の話しを中断した。  兄嫁の声を聞いて、母に抱かれていた初孫(私の姪っ子)が鳴き始め た。  「ほほほ、和枝さんはこの手のお話はお嫌い?」  泣き叫ぶ初孫をあやしながら、母は笑った。  どうやら、母は兄嫁の弱点をつかんだ事を喜んでいるようだった。  「もうやめましょう!冗談ですよねぇ?正秀さん…」  兄嫁は私に助けを求めるように言った。  「んーー?嘘じゃないよ、本当の話しだけど」  私は内心笑いたいのをこらえて、平然と言った。  兄嫁は泣きそうな顔をして、私を睨み付けた。  その顔に脅されて、私は母に  「お袋、もうやめようよ、何度も同じ話しばかりしてさぁ…」  「あら、でも和枝さんはこの話しを知らないわ」  母は平然と言ってのけて、続きを話し始めた… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  母は急いで懐中電灯をもってきて、その人間の首らしき物を照らしま した。  はたして、それは…明らかに人間の首でした…その首は長髪の女性で あったそうです…  母は恐くなって、まず父の会社に電話をしました。  しかし、父はお得意さんと外出したとの事…  母が、事情を話すと会社の若い人が何人か駆けつけてきたそうです。  会社の人が駆けつけてくる間、母は家の奥に引っ込んで震えていまし た…なぜなら、つい数カ月前、向かいの寺の墓場に浮浪者が進入し、大 捕り物があったばかりだったのです。  会社の人は通りから、その生首に向かって怒鳴っていましたが、その 生首が何も反応しなかったので、良く見るとその首は塀の後ろから乗り 出しているのではなく、生首が塀の上にのっかっている事が判り、とう とう警察を呼ぶ事になりました。  近くの交番から、お巡りさんがやってきましたが、まだ若く、その生 首を見るなり恐がってなかなか近寄ろうとしません。  このお巡りさんがぐずぐずしている間に、本署から刑事さんがやって きたそうです。  さすがに、刑事さんは場慣れしているらしく、近くの電柱から墓場の 塀によじ登り、生首に近寄りました… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  母が、ここまで話したとき、私は兄嫁を見た…兄嫁は、既に顔面蒼白 で今にも泣きそうな顔をしていた… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  その頃になり、ようやくその墓場の持ち主である寺の住職がきました。  刑事さんは生首に近づくと、懐中電灯で注意深く生首を見ました。  そして、一言。  「奥さん、大丈夫ですよ!これは、マネキンの首です…しかし、誰だ ろう?こんなタチの悪いイタズラする奴は」  と、言って刑事さんは、軽々と生首を取り上げると側にいた若いお巡 りさんに渡しました。  そのとたん、その場にいた全員がホッとしたそうです… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  「…と、言うお話。どう?和枝さん、面白かったでしょ??」  雷鳴も何時しかやみ、夕立も峠を越した頃、泣きたいのを我慢して、 母の話しを歯を食いしばって聞いていた兄嫁は、この母の話しのオチを 聞くなり、  「義母様、たっ…たしかに面白いお話…でしたわ!」  と泣きそうな声で、去勢をはった空笑いをした…  藤次郎正秀